YOKOの歳時記

気候クライシスで全地球規模で滅亡の危機に瀕しているのに、いまだに武力で他国を蹂躙するもの、その尻馬に乗って平和な世界を、人類の理想を打ち壊そうとする輩。これらの愚行を絶対に許すな!日本国憲法・第9条を守れ!地球を絶滅の淵に追いやる核・原発反対! 大長今 日々の記録 語学学習 https://www.youtube.com/channel/UCL0fR1Bq0ZjZSEGaI2-hz7A/

決して忘れない!

私の故郷福島県浪江町の被災は、あまりにも酷いものです。
東電の発電所が林立する隣町とは異なり、海岸線には多くの人家がありました。私は小学校1年生の夏休みに町中に引っ越すまでは、堤防の下に住んでいました。家の後ろが海だったのです。
小さかった私の記憶では、昼間は遠くおだやかな海が、夜になると堤防に大波を打ち寄せ、下を覗くと今にも引きずり込まれてしまいそうな暗く本当に恐ろしい生き物でした。それでも津波の被害は遠くチリ地震の時以降なく、海岸から町中までなだらかで静かな暮らしでした。今回の大地震と大津波は本当に抜き打ちのものでした。

沢山の行方不明者があり、恐らくはそのほとんどが津波の犠牲になったのかも知れないのに、未だに死者の数すら特定できません。原子力発電所炉心融解放射能汚染を避けるため、20km圏内の強制避難区域に浪江町はスッポリ当て嵌まっているのです。全町上げての避難を余儀なくされ、捜索活動が出来ないのです。
親族に行方不明者を出しながら、遠く苦しい避難生活の毎日を過ごされている浪江町の方々の思いはいかばかりでしょう。あまりの酷さに絶句してしまいます。浪江町長が東電の「謝罪なし」の見舞金を拒否したのは当然です。そのニュースを耳にした時は思わず号泣してしまいました。
国会でも地域でも、チリ地震級の津波に襲われたら今回のような被害が出ることは再三問い質されてきたそうです。そんな意見に耳を傾けることもせず、あまりにも安易な「安全神話」を築き上げ、一旦事故が起きるとこれが科学の進んだ日本での出来事かと目を疑ってしまうその対応のお粗末さ。そもそも万が一暴走したら容易に止めることの出来ない原子力を担う資格のない会社、政策だったのです。

津波は天罰だ」と石原東京都知事は言い放ちました。「これに懲りて我欲を洗い流せ」と。今までも「福祉は贅沢だ」「生殖能力のなくなった女がいつまでも生きている」等政治家や小説家どころか、その人格を疑わせる問題発言を節度なく繰り返してきた人です。「東京湾原発を作ろう」と言ったこともありました。
何と言うことでしょう!今回震災に直接遭われた人たちがどんな天罰を受けることをしたというのでしょう?辛うじて生き残った方々にどんな我欲が有ったというのでしょう?
私は今まで、こんな発言を聞く度に怒りを通り越して、こんな人間をのさばらせて置く自分の非力さの方ばかりを責め、諦めてきました。しかし今回ばかりは「またか…」などと言っていられません。諦め忘れることなど決してできません。たとえ発言を撤回してもその本音を持つ傲慢な人間はそこにいるのです。どんなに非力な私ではあっても、未来永劫その発言を決して許しはしません。
今回の震災では東京でも電車がストップし、計画停電、水道水等の汚染等不自由が生じました。しかし私が恐れるのは70年周期をとうに過ぎている来るべき関東大震災です。首都東京が直下型地震に襲われたら、今度こそは生き残れないだろうと覚悟しています。
石原都知事時代に都市の防災機能はムチャクチャになりました。かつて革新都政時代全国に先駆けた福祉や医療も、今は最低ラインという有様です。それでも我が運命を救えない状況にあるのなら、今だに発展途上にある未熟な人類の一人として生まれた不幸を甘んじて受け入れましょう、私なりに一矢報いながらも。

2月28日雪深い会津に生まれ雪子と名付けられた母は、新婚の地に暖かで穏やかな海を望みました。終生年の離れた妻を愛し抜いた父は、浜通りの浪江に小さな家を見つけどんなに幸せだったことでしょう。亡き両親の愛した故郷に、一日でも早くもう一度帰れる事を願いながら、私は東京で生き続けていきます。

11年4月9日 YOKO